
コンピュータの表現能力は指数関数的に増える。しかし人の制作能力は線形にすら届かない。スキルには上限がある。人員増加による効果もやがて逓減する。人間はコンピュータの成長に追いつけない。
AIアートには「AIが絵を描く(アセットを作る)」以上の意味がある。AIはコンピュータの上で動くため、コンピュータそのものの成長の恩恵を直に受け取ることができる。コンピュータの成長に合わせるための対応作業をAIに代替できる可能性は高い。例えば次世代機向けのアップコンバートも容易になるのではないか。
イラストは絵そのものがアウトプットなので議論の的になった。しかし多く産業におけるアート要素は基本的に中間成果物である。最終製品を作る過程で消失したり、上位の監督プロセスによってマネジメントされる。現代の市場経済において、単純な絵だけが市場に出回ることは少ない。ゲームも、真面目なソフトウェアも、複数の仕事が統合された商品だ。より良いものにするために、この過程で何度も作り直す。そしてコンピュータで表現する商品を作っているのであれば、コンピュータそのものの成長に追いつく品質を出すために過剰な労働を強いられる。ゲーム業界の労働環境の問題の一端はここにあると思う。
企業側もコンピュータの表現能力に追いつくために、ハイスキル人材の獲得が必須になる。しかしそんな人材は希少なので常に人材不足になる。労働集約的なので数も必要になる。これは明らかに経営リスクを高め、企業の持続可能性を低下させる。失敗した時のリスクも大きいため、企業は安牌作品を作るインセンティブが強くなる。退屈なAAA作品が溢れて、、、最後はユーザーが割りを食うのだ。
アーティストから見れば脅威に見えるのは仕方のないことだと思う。しかしコンピュータの上で仕事をしている以上、環境の変化から免れることはできない。そもそもコンピュータの表現能力に人力で追いつこうとしていた今までがおかしかったのかもしれない。仮にAIアートを追放しても、コンピュータの成長が止まるわけでもなく、今まで以上のハードワークが待っているだけだ。企業は儲からず、冒険もしなくなる。最後にゲームユーザーが割りを食う。本当にそれでいいのか?
持続可能性という観点からもAIアーティストの活用を今一度考えるべきと思う。
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