DayOneと言うジャーナリングのアプリを長年使っている。大変気に入っている。毎日毎日あることないこと書き連ねていた。ここ10年ぐらいの思考の断片が大量に格納されている。
ここに問題がある。あらゆるアイデアや思考をキャッチしてきたが、それが明確な形に仕上げて、外部に発信したものは本当にわずかしかない。殆ど無いと言っていい。気軽にメモを取り続けた結果、それで気持ちが発散されてしまった。思考を明瞭な形に言語化することを怠ってしまった。その結果残ったものは、曖昧な、アイデアという名の冷めたクズテキストの山だ。
ティム・デニングと言う男がブログという名の壁に毎日頭を打ちつけていると書いていて、その考えが自分にはしっくりきた。
DayOneという隠れた日記帳に貯めこんだ沢山のアイデアが「いつか」素晴らしいアウトプットの材料になる、などと自分自身を誤魔化していた。もちろんそんなものはない。アイデアを勝手に発酵させる菌は存在しない。ただ忘却か、熱意が冷めて何が良いのかわからなくなったアイデアしか残らない。
閃きはナマモノで、冷凍保存することも缶詰に入れることもできない。私たちは掴んだアイデアをその場で寿司職人よろしく捌いて仕上げるしかないのだ。その時、その場所で、使える技術と知識で何とかすること。
下手かもしれないし、荒削りかもしれない。恥をかく。馬鹿にされる。だからどうした。それでもカタチにするのだ。
リスクをとってカタチにすることの積み重ねで人生は創造されていく。ここから逃げた人間は、完璧主義とかいう不完全な人間となり、ご立派な講釈を垂れながら地獄に落ちる。残るのは死ぬ時の後悔だけだ。
不完全なものを出力するのは不安だが、この積み重ねこそが不満を減らす。そもそも出来ることをやる以外にやりようはない。
不満に塗れるなんてまっぴらごめんなので、閃きをブログやコードに叩きつける。不完全であろうとも、自らの手で人生を創造する側の人間でありたいと願っている。