デザインは容易にコピーされる。どこぞの経済学者(ジョナサン・ハスケル)はこの特徴を「スピルオーバー」と呼んだ。
iPhoneが人気を博すや否や、あらゆるライバル企業がブラックベリー型の端末デザインを捨てて、全面タッチパネルのスマートフォンを開発し始めた。Androidを搭載したスマートフォンがあからさまにiPhoneの形態を模倣した。ジョブズはキレた。彼はGoogleとの対決姿勢を強たが、結果は皆が知っている。デザインを模倣した者たちは死ななかった。シェアだけで言えばAndroidはiPhoneよりも強い。まさにスマートフォン版のWindowsだ。これが有名なスピルオーバーの一例である。
反対に革新的と言われたのに模倣者が少ないデザインを「良いデザイン」と思う人は少ない。セグウェイは革新的だったが模倣者が現れなかった。あのヘンテコな乗り物は機械の仕組みでバランスを取っていたから、そう容易に真似できなかったのだろう。見た目がダサいから真似したいとも思わなかったのかもしれない。仮に真似しても中心部分の特許はきっとセグウェイ社が独占していただろう。類似品を出しても割の良いビジネスになったかはわからない。
世の中を見渡せば「コピーされたデザイン」と「されなかったデザイン」がある。そしてこの世界のプロダクトの殆どはそのどちらでもない。殆どは「コピーしたデザイン」なのだ。だからこそ世界は上手く回っている。何故ならば、既に上手くいっていることがある程度保証されているからだ。
良いデザインほどコピーしやすい。コピーしたいと言うモチベーションも高い。逆を言えば「コピーしやすいから良いデザイン」なのだ。
そう考えるとデザイナーと言う職種は報われない。良いデザインほどスピルオーバーの力が働き複製されやすくなる。良く言えば人類全体の資産を作ったことになるが、いかんせん複製しやすいので、経済的にはあまり報われない。
デザイナーの手元に残るデザインは常に「悪いデザイン」になる。誰も複製したいと思わないから広まらない。一見すると権利を独占しているように見えるが、単に誰からも見向きされないものを生み出しただけだ。アート崩れのデザインがたどる道でもある。
良いデザインが複製しやすいと言うのはそんなに不思議な話じゃない。そもそも人類は物真似が上手だからここまで進化してきた。役に立つ上に皆が簡単に真似できる形状や振る舞いは群れの生存確率を飛躍的に向上させる。
矢尻や石斧など原始時代の道具が世界で似たり寄ったりなのは偶然じゃない。あれこそスピルオーバーのあるべき姿だ。
俺が言いたいのはこう言うことだ。
良いデザインほど複製される。複製するモチベーションも高い。複製した後に実際に役に立つ。