これは迷いの駄文である。目的はない。
昔々ある所にいた俺はそこそこ文章を書けると思っていたが、ビジネスの世界で、ですます調でクソ丁寧かつ退屈だけどコンテキストを全部突っ込んで守りをガチガチ固めたビジネスクソ文章(ビチクソ)を書き続けた結果、現状がクソになった。つまり他人のせいだ。俺は悪くない。
悪くないのだが、結果的に悪い。文章という結果が悪い。読み手からすれば結果が全てだ。書き手の想いも、状況も関係ない。簡潔で面白くて役に立つのか?役に立たない?ならクソだ。人のせいにするな。
この痛みを実感して初めて上達への道が開かれる。さて、では一体どこから取り組むべきなのか?
まず考えられるのは構成と書き出しだ。構成は三幕だのオレオだのの方法論がある。オレオとは意見を述べ説明し、具体例を示し、もう一度意見を言う。だったと思う。うろ覚えだ。つまり大事なことを2回言えってことだ。それで挟み込めば間はどうにかなる。
書き出しはフックだ。読み手は忙しい。ほとんど人間は他人に構っている暇はなく、仕事のできる社会人は結論から話さない奴は死ぬべきと教えられているので、いつまでもクソ駄文を読まされることに耐えられない。「結論は?」とか言い始める。死んで欲しい。
フックは簡潔に単刀直入に結論から書く。力強く、意図を明確にせよ。迷わせるな。誤解されるにしても明確に誤解されるべきだ。文章とはそもそもが不明瞭だ。文章「術」とは、誤解を恐れず明確にする術を指す。曖昧さこそを恐れよ。
ここまでの簡単なTipsだけでも文章はマシになる。あなたの意見は強く、偏り、しかも間違えているだろう。故に人々はあなたのことを毛嫌いする。疎ましく思う。話しかけても明後日の方向を見つめながら空返事をする。
これが人生だ。独自性を発揮すれば受け入れられないものだ。恐れるな。ただ簡潔に、率直に、思うことを書け。どの道死ぬのに控えめに生きるな。曖昧さが消えれば自ずと上達するだろう。
死を忘れるな。