はじめに
「デザインとは何か?」という問いは、日常的な美的装飾から社会変革に至るまで幅広い範囲を含意します。特にデジタルプロダクトの世界では、ユーザビリティやUI/UXの視点を超えて事業や社会全体に影響を与えることが期待されるようになりました。一方で、デザイナーや経営陣が互いの役割や価値を理解しないまま進んでしまうと、せっかくのアイデアや技術が活かされないまま終わってしまうリスクもあります。
本稿では、以下の3つの視点を軸に「デザインとは何か」を再考し、それを経営や実務に活かすためのヒントを提示します。
- 理解不可能な原理を受容可能に変換する技術としてのデザイン
- デジタルプロダクト業界におけるデザイン論の意義と課題
- 進化・適応のメタファーによるデザインと“デザイナー”の再定義
1. 理解不可能な原理を受容可能に変換するデザイン
1.1 デザインの本質:未知や曖昧さとの向き合い
あるアイデアや技術が未成熟で、一見して「理解不可能」な段階にあるとき、これを社会やユーザーにとって「受容可能」な形に導く行為をデザインと捉えることができます。具体的には以下のステップを辿るでしょう。
- 未知の原理や技術を発見する
- AIや量子コンピューティング、新素材など、専門家以外にはピンとこない先端領域。
- 適用先(課題や文脈)を見極める
- 社会課題やビジネス課題との接点を探り、解決の糸口を確立する。
- 試作・プロトタイピング
- モックアップや概念実証(PoC)を通じて“扱える形”に変換し、関係者が理解・議論できる土俵をつくる。
- 実用化・受容プロセス
- 検証と改善を繰り返し、“実際に利用されるサービスやプロダクト”へと仕上げる。
こうしたプロセスを通じ、デザインは「まだ生み出されていない原理の可能性」を社会が受容できる形にまで導く“変換装置”として機能します。デザインの価値とは、未知や曖昧さを正面から扱い、可視化・具体化することにあると言えるでしょう。
1.2 あらゆる創造行為を内包する
デザインをこのように広く定義すると、美術・工業製品・システム開発・組織設計など、あらゆる創造行為はデザインの一部と見なせます。何かを「作り、機能させる」という行為は、未知と既知の境界に橋を架けるプロセスを含むからです。
2. デジタルプロダクト業界におけるデザイン論の意義と課題
2.1 デザイン論が求められる背景
デジタル領域においては、UI/UXデザイナーが増え、ツールやフレームワークも洗練されました。しかし、クリティカルシンキングが浸透していないために、次のような課題が目立ちます。
- 部分最適の乱立 ユーザーインターフェースや画面遷移だけにフォーカスし、事業戦略や市場環境の全体像が考慮されない。
- デザイナーの価値が伝わらない 「ビジュアルを作る人」と見なされがちで、事業に対する中長期的なインパクトが経営層に伝わっていない。
- 意思決定者との乖離 経営やCTOがデザインをどうマネジメントすべきかが曖昧で、結果的にデザイナーを十分に活用できない。
これらの問題を解消するためにも、「デザインとは何か」を多面的に言語化し、経営層やエンジニアリング部門も共有可能な形に整える必要があります。単に美学的な議論に終わらせず、事業価値創造の文脈で捉え直すことが重要です。
3. 進化・適応のメタファーによるデザインと“デザイナー”の再定義
3.1 生物の進化と意図的な変化
生物は環境に適応するために試行錯誤を繰り返しますが、人間はさらに「意図的な変化」を付加することで進化の方向性を大きく変えてきました。これをデザインと捉えると、以下のような動きが見えてきます。
- 進化(アダプティブ)
- 自然や市場、社会の変化に対し、試行錯誤を続けるプロセス。
- デザイン(インテンショナル)
- その時点での知識や技術を駆使し、“こうありたい”という意図を明確化し、実際に変化を起こす。
たとえば、アップルのスマートフォンが世に出た時点で、そのデザインが受け入れられれば後追いの製品にも影響を与え、市場全体の進化に拍車をかけます。“完成形”ではなく、意図した方向へ進化を促す行為こそがデザインです。
3.2 デザイナーという肩書きは後付け
こうした観点では、「デザイナー」の肩書きを持つ人だけがデザインを行うわけではありません。大きな変革を起こした人物は、後から“デザイナー”と呼ばれるケースが多いのです。
- スティーブ・ジョブズ: ビジョナリーかつ事業家であったが、社会的には「Appleの製品をデザインした人」と称される。
- イーロン・マスク: エンジニア気質の起業家だが、電気自動車やロケットのあり方を変革したことで、結果的に「新しいカテゴリーの創造者」として認識される。
- バックミンスター・フラー: 建築家・思想家だが、ドーム構造の発明などによって「デザイナー」の称号を得ている。
言い換えれば、“肩書きとしてのデザイナー”と“事実として世界をデザインした人” は必ずしもイコールではありません。実際に新しい価値や仕組みを形にし、社会にインパクトを与えることが重要であって、それが認められた結果として「デザイナー」と呼ばれるのです。
4. 経営とマネジメントの視点:デザインをいかに組織に組み込むか
4.1 ビジョナリーとクリエイターを活用する
デザインによる事業価値創造を最大化するためには、以下の二つのタイプを組織やプロジェクトにうまく組み合わせることが有効です。
- ビジョナリー(Visionary)
- 社会や市場に対して新しい姿を描き、説得力のある未来像を提示できる人。
- 経営陣や事業責任者がこれに当たるケースが多い。
- クリエイター(Creator)
- 実際に手を動かし、原理や技術を具体的なプロダクトやサービスに落とし込める人。
- エンジニア、研究者、職人、クリエイティブディレクターなど。
ビジョナリーが示す方向性をクリエイターが形にし、両者の間を繋ぐコミュニケーションが円滑に行われれば、結果的にデザインによる変化が起こるというわけです。ここで重要なのは、必ずしも「デザイナー」という肩書の人を雇う必要はないという点にあります。
4.2 デザイナーを雇わずにデザインを実現する方法
「デザイナーを雇わずにビジョナリーとクリエイターをうまく連携させる」ためには、以下のアプローチが考えられます。
- 共有言語の確立
- デザイン思考などのフレームワークを導入し、共通のプロセスやステップを学ぶ。
- エンジニアや経営者も「デザインは未知を取り扱う営み」という認識を持つ。
- 意思決定の透明化
- 進捗や課題を可視化し、対話を重ねる。
- チーム全体で試作品やインタビューのフィードバックを共有し、次のアクションを即決できる体制を作る。
- 実験文化の推進
- 小規模のプロトタイプやPoCを積極的に試すマインドセット。
- 失敗を責めるのではなく、学習の糧と捉える社内文化を醸成する。
- 外部パートナーの活用
- 特定の領域におけるクリエイター(デザインエージェンシーや専門家)と必要に応じて協働する。
- 社員ではなく“協力者”という形で優秀なビジョナリーやクリエイターと繋がる方法もある。
いずれにしても、「意図的な進化を起こす」という視座で活動を組み立てることが最も重要です。肩書きにこだわらず、変化を生み出す人材同士が有機的に連携できる組織設計を志向することで、デザインの恩恵を大いに享受できます。
5. 結論:意図された進化を導く営みがデザインの本質
本稿で示した3つの視点を踏まえると、「デザイン」とは未知の原理や技術を、社会や市場に受容可能な形で意図的に進化させる営みと言えます。その際、後から「デザイナー」と呼ばれることになる人々は、ビジョンや技術を結びつけ、世界に変化をもたらした当事者です。必ずしも「デザイナー」という肩書きがあるわけではありません。
5.1 デザイナーとの関係を再定義する
企業や組織が真にデザインの価値を享受するには、「今いるデザイナーをどう使うか?」よりも、「事業や社会を変えるためにどう意図的な進化を起こすか?」という問いに立ち返ることが重要です。その結果として必要な人材が「デザイナー」という名のクリエイターだったり、「エンジニア」という肩書きのビジョナリーだったりするわけです。
5.2 今後の展望
- AI・ロボット時代でも残る「人間のデザイン」 AIや自動化が進んでも、未知や曖昧さに対する人間の想像力と意図的なコミットは不可欠です。
- 経営者・エンジニア向けのデザインリテラシー ビジョナリーやクリエイターが互いの強みを掛け合わせる仕組みづくりが進むことで、“デザインを起点としたイノベーション”がより加速するでしょう。
- デザインの民主化と専門性の深化 フレームワークやツールの普及により、誰もがデザインプロセスに参画する時代が来ています。同時に、専門家としての高度なデザイナーの役割も一層洗練されるはずです。
まとめ
デザインとは、未知への挑戦と意図的な進化を導く行為です。肩書きや狭義の職能にとらわれるよりも、ビジョナリーとクリエイターが連携し、未知を形にするプロセス全体を設計することで、より大きな事業・社会価値が生まれます。
現時点で「自分はデザイナーではない」と思っていても、意図をもって世界に変化を起こし、成功すれば後から「デザイナー」と呼ばれるかもしれません。その意味で、私たち一人ひとりがデザインの担い手となる可能性を秘めているのです。
意図し、行動し、世界を変化させること。
これこそが、デザインの原点であり最も本質的な価値ではないでしょうか。